「杉並病テーマについて」はじめての投稿となります。 ホームページ編集者のMKです。
私は杉並に生まれ、約20年間同区に住んでおりました。井草に杉並中継所が完成し、「杉並病」が世に出始めたのが1996年頃、私はその頃まだ高校生で、この後大学進学とともに神奈川県へ引っ越してしまいました。
今回、「化学物質による環境汚染を考える会」のホームページ制作をお手伝いさせていただくこととなり、ここで「杉並病」の概要とその被害者の状況を初めて知ることとなりました。
私が子どもの頃(1980年代)、まだ環状八号線に井荻トンネルが開通する前で、西武新宿線の井荻駅が「開かずの踏切」と呼ばれていました。毎日かなりの交通渋滞が発生しており、踏切向こうから通学している小学校や中学校のクラスメイトがこれにより遅刻していました。
夏場は毎日のように光化学スモッグの警報が鳴り響き、これが原因かはわかりませんが、私も妹も小児喘息を患っておりました。そして、私はこの光化学スモッグが「杉並病」の原因だと、勘違いしたまま、つい先日まで生きてきました。
「杉並病」に「杉並」という知った地名が入っていたことで私のセンサーは一瞬反応しましたが、そこからろくに調べることもせずに間違った認識のまま過ごしてきたという大変恥ずかしい話です。たまたま風向きや立地が良かっただけ、そして自分や家族に被害者らしき者が出なかったことで、いつの間にかなかったこととして、その後も時間を浪費してまいりました。実際、自分に実害がないから「他人事」として通過してきてしまったのです。
言い訳をするわけではありませんが、こういう考え方をしている方は少なくないのではないかというのが、私の肌感覚で思うことです。「杉並病」「寝屋川病」の名前から、どんな病気でどんな被害が出ているのかがイメージできないことが、自分ごととして捉えきれなかった一つの要因なのかなと。世界的パンデミックとされたコロナウイルスの蔓延と比較すると思ってしまいます。
私は杉並区に住んでいた。だから、この病名に引っかかった。(引っかかっただけですが…)では、他市区町村の方はどうでしょう。他道府県の方はいかがでしょう。わたしより更に興味を惹かれなかったのではないでしょうか。
さて、今回をきっかけに、私は3つのことを知りました。
・今もまだ杉並病被害者が苦しんでいる方々がいること
・この教訓が生かされず寝屋川でも同じ轍を踏んでしまったこと。
・同じ症状を発症していて、まだ原因が廃プラスチック処理施設と気付いていない方々にこの声が届いていないこと。
今も全国で2,000を超える廃プラスチック類破砕施設と715の焼却施設が稼働しているそうです。おそらくこの周辺にはお年を召された方も、生後間もない乳幼児も、そして動物たちも生活していることを考えると、5年後、10年後にはもっと大変な数の方々が被害者として出てくる可能性があると思われます。
SDGsが叫ばれ、レジ袋が有料化となり、ペットボトルのリサイクルが良いことと進めていく裏で、やはり一筋縄ではいかない何かがあると感じました。しかし今の私には、「ではどうすれば良いか」という着地点が見えておりません。
とりまとめのないブログとなってしまいましたが、少しでも本ホームページから情報が全国に広がり、同じように悩み苦しむ方々と共有し、日本全体が少しでも過ごしやすい国に向かっていければ幸いです。